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2010.07.26
iPS細胞が登場する以前、パーキンソン病や若年性糖尿病など、細胞移植療法を必要とする多くの疾患などに利用される細胞資源としては、胚性幹細胞(ES細胞、どんな細胞にもなれて何回も分裂できる凄い万能細胞)を使うことが研究の中心でした。しかし、そのES細胞は、1) 他者の『受精卵』から作成されること、2) 拒絶反応が起こること、などの問題点が指摘されていました。特に、受精卵を1つの生命体、即ち生きているヒトと見なす考え方の人達もいますので、その受精卵を破壊して使用することに批判や疑問が投げかけられていました。そして、ES細胞問題は、科学分野の領域を超えて宗教的な生命倫理の議論となり、さらには政治的な問題へと発展してしまっていました。
そんな中、韓国の黄禹錫教授らによって、2004年2月にヒトクローン胚からES細胞を作製する技術が報告されました。さらに、2005年5月にはヒト未受精卵に患者の体細胞の核を移植することでオーダーメイドのES細胞を作成する技術が報告され、世界的にかなり注目を集めました。これらの報告により、技術的な進歩が推進力となって、何だかんだと言いながらも、ES細胞利用の倫理規定が作られ、利用が拡大していくのかな~、ES細胞で細胞移植療法や臓器再生療法が進んでいくのかな~、という淡い期待が立ちこめていたと思います。しかし、ここで世界を揺るがす大事件が勃発します。2005年の12月、何と、黄禹錫教授らの研究が真っ赤な偽物、捏造であることが判明したのです。この大事件の衝撃により、ES細胞研究に立ちこめていた淡い期待も木っ端微塵に吹っ飛び、ES細胞研究の深刻な世界的停滞が引き起こされてしまいました。研究者にしてみれば、出口の見えないトンネルを、当てもなく彷徨っているような感覚だったのではないでしょうか。
このような絶望的な状況の中にあって、捏造発覚から僅か9ヶ月後の2006年8月10日、颯爽と登場したのが我らが『iPS細胞』でした。まさに、これ以上ない、格好いい登場の仕方だったのです。これにより、停滞していた幹細胞研究が一気に息を吹き返しました。iPS細胞は、患者自らの細胞から作成することが可能ですので、ES細胞が抱えていた上述の1)及び2)の問題を一気に解決できる可能性が示されたのですから。言うなれば、iPS細胞は暗闇の中の一筋の光明、起死回生のスーパーヒーローという訳なのです。
前回のメルマガでご報告した分析対象母集団72件につきまして、出願人による件数ランキングを作成いたしました。それが図1になります。尚、今回の出願人ランキングを取るにあたり、出来る限りの名寄せ作業を行いました。また、個人発明家による単独の出願は、そのまま個人名でランクインさせておりますが、企業に所属されていた方はその企業を載せ割愛させて頂きました。
本家、京都大学が9件と頭一つ抜け出た1位となっています。3件でならんだ2位グループですが、日本からは未分類特許でお馴染みの加治佐氏が、アメリカからはバイオベンチャーのIZUMI BIO社とHARVARD大学がランクインしております。iZumi BIO社(アイズミバイオ社と読みます)は、米Genentech社を設立したベンチャーキャピタル、米Kleiner Perkins Caufield & Byers(KPCB)社が、iPS細胞を商業化するために2007年に設立した会社で、ドイツの製薬会社バイエルからiPS細胞関連特許の譲渡を受けた会社として有名です。HARVARD大学はさすがといった感ですが、実はこの3件、全て発明者が異なっていて、大学としてかなり本気モードの布陣を敷いていることが伺えます。近い将来、ひょっとするとこのiZumi Bio社とHARVARD大学が、日本の脅威となりそうな雰囲気です。
2件でならんだ5位グループですが、目を引くのが日本のニコン社ではないでしょうか。2件とも、iPS細胞をかなり意識した細胞培養装置関連の発明です。また、東京大学ですが、2件の内の1件が京都大学との共願のもので、日本の国立大学の東西横綱同士の夢の競演となっております。また慶應義塾大学も京都大学と1件の共願があり、山中教授が提唱する『All Japan』をかなり期待させてくれる結果となっています。
次に、72件の発明の内容を
a) 組込遺伝子配列
b) 遺伝子導入方法、ベクター
c) iPS細胞の培養方法
d) iPS細胞の用途発明
に分類し、レコード数をカウントした結果が図2になります。尚、発明によっては複数の分類に関係するものもありますが、それらは重複してカウントしています。
最も件数が多かったのが、遺伝子の導入方法・ベクターに関するものの42件でした。これは全体の約58%に相当し、最も研究開発が盛んな領域と言えます。iPS細胞には、細胞の『癌化』といった解決すべき大きな課題が存在しますが、直近のものにはこの課題に対する解決を意識したものが見受けられるようになってきました。
用途発明はまだ9件と少なく、全体の12.5%に留まっています。iPS細胞自体の作成技術に、ある程度目処が立ってくると、臨床的応用技術に関係する用途発明が今後増えてくるものと思われます。特筆すべきは、この9件の用途発明中7件までが、日本の大学、企業、個人発明家のもので、米国系企業の2件に対して優位な立場にあるようです。
(IP総研 主任研究員 吉田秀一)