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2010.08.28
これを記念し、NGBの役員やOBが、記憶に残る10大トピックを振り返ります。
1.海外特許情報の輸入~英国ダウエント社との代理店契約
2.外国特許出願仲介業務に参入
3.大阪出張所の開設
4.霞が関ビルへの本社移転
5.アメリカ特許弁護士のNGB駐在
6.CPA社との業務提携~外国年金管理業務の発展
7.アジア・プロジェクトのスタート
8.米国特許侵害セミナー(模擬裁判)開催
9.日本ビジネス翻訳株式会社(NBT)の設立
10.北京駐在員事務所の開設
今月は「アメリカ特許弁護士のNGB駐在」をご紹介します。
5.アメリカ特許弁護士のNGB駐在
我が社が外国特許出願仲介業務に新規参入したのは昭和40(1965)年で、当時の米国特許出願の主たる代理人はワシントンDCのシュグルー特許法律事務所でした。
外国特許出願件数の増加に伴ってその対応が求められている折、昭和46年に西野社長の指示により「Exchange Agreement of Technical staff between Sughrue and NGB」契約を取り交わしました。同年10月には第1号の米国特許弁護士となるオレキシー( P. D. Olexy)さんが来日し、NGBでの常駐がスタートしました。シュグルー氏による契約書送付の書簡に「事務所内で最も若くて聡明な化学分野の特許弁護士をNGBに常駐させる」と書かれてあったことを今でも鮮明に覚えております。
米国代理人によるNGB内での英文明細書作成によって、英国やドイツの出願代理人からは「NGBから送付されてくる明細書はその内容が非常によく書かれている」と高い評価を得ておりました。また、ある化学関係の米国出願では、拒絶理由通知の発行がないまま登録されたことが度々あり、我が社の明細書作成能力は大きく評価されました。これらは米国代理人常駐の効果の例ではないでしょうか。
米国特許弁護士の常駐システムは、当時の特許業界では大変画期的なものでした。同時に営業面においても「我が社では社内に米国特許代理人が常駐し、完璧な英文明細書の作成が可能です」との言葉が大きなセールストークになったことは間違いなく、その後の営業拡販の成果となって現れていました。
常駐者の思い出といえば、昭和50年に、社長の西野が自分の郷里・石川加賀温泉へのビガート(W. A. Biggart)さんご夫妻を招待したときのことです。私も金沢の兼六園などに同行し、その晩は山中温泉に宿泊することに。夕食時には、芸妓さんの舞いにあわせて西野が小唄『白扇』を唄うなど、その多芸ぶりにご夫妻も大喜びでした。
また、機械分野のシーゲル(N. B. Siegel)さんが、顔面や両腕を真っ赤に腫らして出社してきたときには驚きました。骨董市で購入した骨董品に漆を塗り、それにかぶれてしまったようです。収集した多くの骨董品は船便で米国に送ったそうですが、今も大切に使われていることでしょう。メキシック(D. Mexic)、ターナー(R. C. Turner)、ラック(J. J. Ruch )さんなど多くのシュグルー特許法律事務所常駐弁護士との交友や思い出があり、この書面では書きつくせません。
平成19年11月、シュグルー特許法律事務所は創業50周年記念パーティーを東京・丸の内で開催しました。同様に、我が社の平成21年11月の創業50周年を考えると、日米でともに半世紀の歴史を重ねてきた実感が強くあります。この間、シュグルー特許法律事務所からは「最良のパートナー」として多大な協力をいただいたことを、心より感謝いたしております。
文・北出 勇(OB昭41入社)